野獣の考察

野獣の考察

-りんりんの様子が最近おかしい。私に対する態度もどこかよそよそしい。

りんりんは美しい女性だ。

フランス語で美しいを意味するラ・ベルというあだ名で呼ばれていたが、ベルという名に改名した。ベルは英語で鈴という意味なので、私は彼女をりんりんと呼んでいるのだが、今はどうでもいい話だ。

まずりんりんを怪しいと思うのは、彼女が香水を変えたことだ。今まではフローラルな甘い香りだったのに、最近、スパイシーな香りに変わった。

女が香水を変えるのは、男が変わった時というのが相場だ。かすかな香りだが、りんりんから葉巻の残り香がするのも気になる。

私は元野獣だからか、人間に戻った今でもどういう訳か鼻が利く。

特に昨日の言動が疑いを深めた。夕食後、二人でワインを飲みながら、テレビを見ていた。その時、テレビでは昼顔妻なる特集をやっていた。

夫のいない昼間に情事を楽しみ、不倫をしている妻のことを昼に咲く昼顔という花に例え、昼顔妻と呼ぶらしい。

りんりんはさりげなく、チャンネルを変えたが、動揺は隠せないと見え、サイドテーブルに置いてあったワイングラスに手が触れ、グラスは粉々に砕けた。白いじゅうたんに広がる血のような染みに、不吉な予感を覚えた。

他にも挙げれば、切りのないほどの疑いがある。二日前の日記にも、記したことだが、作る料理が洋風の割合が増えた。

朝は白米と味噌汁、というのが結婚当初の私の希望だったのにも関わらず、である。新しい男は洋風化ぶれに違いない。

ただそれらはすべて疑いであって確信ではない。

りんりんは明日友達と遊ぶと言っていた。しかし、友達と遊ぶのに、前夜から顔をパックし、太ももにスリットの入ったセクシードレスをクローゼットから取り出して、うっとり眺めたりするものだろうか。

すべてを明らかにするには、明日しかない。-

元野獣の王子は静かにペンを置き、ため息を吐いて日記を閉じた。

「今日は眠れそうにない」

予想通り一睡もしなかった王子はりんりんが布団から出る音を聞きながら、寝たふりをしていた。

りんりんは鼻歌を歌いながら、寝室を出ていった。

王子は何食わぬ顔でリビングに行くと、朝食を準備し終えたりんりんがエプロンを外し、ドレスに着替えるために入れ替わり寝室に戻った。

王子はスクランブルエッグを食べ、コーヒーをすすった。

化粧も格好もばっちりなりんりんが出てきた。

「じゃあ、行ってくるね。夜は遅くなるかも」

「うん」

りんりんの行ってきますのキスを最後にしてもらったのはいつだろう。王子は残りのスクランブルをコーヒーで流し込み、すぐにりんりんの後を追い掛けた。

一定の距離を保ち、りんりんを尾行した。

りんりんは大通りのオープンカフェに入ると、エスプレッソを注文した。待ち合わせだろうか。相手はまだ来ていない。

王子は向かいの通りの本屋に入り、雑誌で顔を隠しながら、様子を伺った。

足を組み、優雅にエスプレッソを飲むりんりんに王子は見惚れた。ああ、名前の通り美しい私のりんりん。

りんりんは笑顔になり、手を軽くあげた。

王子はそれが自分に向けられたのかとびくりとしたが、すぐに待ち合わせの人物が来たことに気が付いた。

りんりんの顔に満面の笑みを浮かべさせる人物に王子は腸が煮え繰り返る思いだった。もしかしたら、相手は女かもという望みはすぐに打ち砕かれた。

りんりんの視線の先にはジャケットを羽織り、ハットを被った男がいた。

「気取った奴だ」

そう呟いた王子自身がジャケットにハットというスタイルだということはすっかり忘れていた。

二人は親密な様子だ。男がりんりんの耳に顔を近付け呟くと、りんりんはくすぐったそうに肩をすくめた。

どうやら席を立ち、二人は移動するようだ。

王子は雑誌をラックに戻し、本屋を出た。二人が吸い込まれていった建物を見て、王子は絶句した。

空高くそびえ立つ高級ホテルだった。ということは、つまり…、王子が一瞬足を止め、悪い予感を振り払うかのように頭を振った。遅れてラウンジに入った王子はりんりんの姿を探したが、見当たらない。

まさか、部屋に行ったのか、最悪の事態を思い浮べた王子は握った拳を震わせた。

ラウンジに併設されたカフェに二人の姿を見つけた王子はほっとした。そして、大股で二人のいる席を目指した。

王子と目のあったりんりんの目は心底驚いていた。

「あっ」

漏れ出た声と同時にりんりんは席をたち、膝にかけていたストールがひらりと床に落ちた。王子の声は思いの外、冷静だった。

「りんりん、一体どういうことだ」

りんりんは、大きな目をさらに大きく見開いた。

「どうして?」

「どうしたもこうしたもない。この男は一体だれなんだ」

黙ったまま、椅子に深く腰掛けた男を王子は睨み付けた。こんな事態にも、動じないとはふてぶてしい奴め、と王子はさらに目を吊り上げた。

「誤解しないで。…彼は、お医者さまなの」

りんりんはそう言って顔をうつむけた。

「医者! りんりん、どこか、悪いのか」

りんりんは困ったように王子を見て、小さくため息を吐いた。

「あなたには、言いたくなかったの。私、私、人間に戻ったあなたが受け入れられなくて…それで、お医者さまのセラピーを受けていたの」

りんりんの頬を一筋の涙が伝った。思いがけない告白に王子は何と言えばいいのか分からなくなっていた。

りんりんは続けて言った。

「あなたを愛してる」

王子の胸に熱いものがこみあげてきた。りんりんの悩みも知らず、浮気を疑うなど夫失格だと、王子は唇を噛み締めた。

突然、王子はまばゆい白い光に包まれた。周りの者たちはその眩しさに目をつぶった。一瞬のことで皆が茫然としている。ゆっくりと目を開けたりんりんが見たのは、野獣の

姿に戻った王子だった。

服は引き千切れ、全身が毛むくじゃらの獣だ。王子は毛の生えた鋭い爪の両手を見た。野獣に戻った王子の心は安らかだった。

「りんりん、姿形なんてどうでもいい。ただ君の望む姿でずっといたい」

りんりんは野獣の胸に飛び込んだ。

その夜、王子は日記を開いた。獣の手では文字が書きづらい。王子は震える文字でこう綴った。

-愛を疑うことは、恥ずべきことだという教訓を得た。愛している、りんりん-

王子は日記を閉じ、安らかに眠りについた。

一週間後、あのホテルの一室ではこんな会話が交わされていた。

「ベル、君は悪い女だ」

医者が葉巻を吸いながら、言った。

「あなたは実際、お医者さまだし、ばれたら困るのは、お互い様でしょう?」

ベルは医者に笑いかけた。シャンペンをグラスに注ぎ、ベルに渡した。二人は静かにグラスを軽く合わせると、シャンペンを飲んだ。

「彼の言うとおり姿形はどうでもいいの。中身にうんざりなの。疑い深くて、細かくって、うっとうしい。りんりん、りんりんって、私パンダじゃないわ。…結婚してみないと、分からないことはたくさんあるのね」

医者はふと思い出したように尋ねた。

「ところで、彼はなぜ野獣に戻ったんだい?」

「さあね、私がもう彼を愛していないから、野獣に戻ったのよ。鈍感で助かるわ」

ベルは肩をすくめ、唇の端を上げた。

「もうどうでもいいじゃない、そんなこと。それより…」

二人の影がベッドに倒れこみ、部屋の明かりが消えた。

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