ソエジマ専務の最終業務

ソエジマ専務の最終業務

 定年退職の一月前、ソエジマ専務理事は長期休暇を取った。世界を動かす超巨大企業のCEOはまだ若い。その彼の右腕であるソエジマ専務ともなれば、世界経済にも影響を与えかねない立場である。そうそう休みなどとるものではない。
 若い頃から先代に代わって明るみにできない裏の業務をこなしてきたソエジマ専務であるからして、今回はよほど重要なミッションで秘密裏に動いているのではないかと各方面で噂されていたが、これはあながち間違ってはいなかった。

 ユウのためなのである。ユウはソエジマ専務の第三秘書であり、CEOが唯一愛する女性でもあった。ユウは教養に欠け、もの覚えは人並みで、職歴はあってないような中途入社ではあったが、彼女は色眼鏡をもたず、率直に人や物を見る才能があり、胆力があって、何より純朴で人として温かみのある女性だった。学歴を審査対象としない会社の入社試験に見事合格したのは数年前のことである。
 CEOとユウは互いに深く愛し合っていた。だが近い将来、世界的な名士の妻となるのであれば話は別だった。ユウの過去にはあまりに問題が多すぎる。ソエジマ専務はCEOの密命により、その過去を一掃するために単身、スーツケースを携えてユウの故郷である日本へと旅立ったのだった。ちょうど、桜の花びらの舞う季節だった。

 ソエジマ専務は出国前にCEOに念を押した。
「私はこれまで貴方もご存じないような汚いことを数々手がけて参りました。その中には人として許されないことも含まれております。結果は責任をもって出しましょう。ですが、私にお任せいただく以上、決して手段を問わないでいただきたい」
 はたしてCEOはこれに首肯した。

 そこでソエジマ専務はまず、独自のコネクションを活用してユウの人生の痕跡を半分消してしまった。幼稚園から始めて、傷害事件を起こした高校までの在校履歴、産婦人科等の病院の診察記録、前科、これらは速やかに抹消された。
 次にユウの過去の交際相手たちを拉致し、その記憶を医学的に脳内から除去した。
 最後にソエジマ専務はユウと絶縁している父親に面会を求めた。彼はその地方で薬物の流通管理を担ういわゆるヤクザだった。ソエジマ専務は既にこの日が来ることを予見しており、忙しい出張の合間を縫っては偶然を装った出逢いから親交を重ね、今では彼と単なる友人関係を超えた信頼を得ていた。
 飲み屋で娘の話になると、ユウの父親はいつも上機嫌で、他の誰にも決して明かさない、娘に対して行ってきた数々の秘密などを語っては懐かしがり、しばらくすると決まって自分を捨てて海外へ出てしまった娘への恨み辛みを吐き捨て、激昂するのだった。
 それは捨て置けぬ禍根で、金銭や取引などでは解決しない情念の問題であると判断を下したソエジマ専務はその日、裏路地でユウの父親を始末した。翌日、ある医療機関と取引を交わしてから死亡届けを役所に提出し、第三者を通じて海の向こうにいるユウにも不幸を報せた。エージェントの報告によれば、ユウは当日には渡航して葬儀に参列しており、短い日本滞在の後に会社へと戻ったようだった。
 本来であれば、ユウの父親は死亡ではなく永久に行方不明となるべきであった。が、今回の業務に取り組む以前からCEO個人に命じられている、ソエジマ専務がいつか従事するべきあの最後業務のためには、こうする他なかった。
 予定よりも一日早くスケジュールを終えたため、ソエジマ専務は本来の意味での休暇を消化することにした。ユウの母親が眠る場所へ墓参りをして手を合わせ、ユウが数日前に供えた萎れかけの花に水をやった。
 それから彼は汗ばんだスーツの襟を正して空港へと向かったのだった。

ソエジマ専務が本社ビル最上階でCEOに報告を終えて戻り、専務室の扉を開けると、摩天楼の数々を映すガラス全面を背にして、ユウが彼の紫檀の机を丹念に磨いているところだった。机の天板は美しく照り輝いており、オフィスの床には塵ひとつなく、室内には埃ひとつ舞ってはいなかった。
 花が咲いたように微笑んで、彼女は朝日を背中に受けて小走りに駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、専務」
「ああ、ただいま」
「休暇でお疲れはとれましたか?」
「おかげさまでね」
「専務が一か月もいらっしゃらなかったものですから、しっかりお掃除ができました」
 ユウは笑ったが、ソエジマ専務はいつものように眉一つ動かさなかった。そのままの表情で口にした。
「君に一つ頼みがあるのだが」
 ユウは驚いて何度も目を瞬かせた。
「はい、ご命令であれば……」
「命令ではない。願い事だ。断ってくれてもいい」
「なんでしょう?」
「私の養子になってくれたまえ」
 結局、迷った末にユウはこの不躾な願い事を受け入れた。

そして翌年、ソエジマ専務は結婚式のバージンロードで号泣するソエジマユウと腕を組んで歩き、彼女がCEOのかたわらに寄り添うのを見届けることで、件の最終業務を完遂したのである。

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