エレファント・ノーズ

エレファントノーズ

『時代が変わっても、変わらないものがある』
 その日まで、私はそう思っていた――。

 娘の言葉を聞いた時、私は耳を疑った。
 リコーダーがなくなったというのだ。いや、こういう言い方をすると、語弊があるかもしれない。正しく言えば、なくなったのはリコーダーの授業が、である。
 妻はずいぶん前から知っていたようだ。そう言われて、はたと気がつく。娘の弁当、体操着、文房具から宿題の手伝いまで、全て妻に任せっきりだった。
 単に、私が知らなすぎたのだ。
 私は反省すると共に、遅ればせながら父親としての責務を果そうと、休みを取り、授業参観に臨んだのだった。

 学校に立ち入るのは、入学式以来だ。私は教室の後ろから、我が娘の勇姿を見守っていた。
 科目は音楽。
 教諭は授業参観用のプログラムを淡々と進めていく。教諭、生徒、保護者、皆とても真剣な眼差しだ。
 私だけが一人、呆気にとられていた。

――パオーン。

「はい、田中くんありがとう。上手にできましたね」
 そう言って、教諭が拍手をすると、田中くんとやらは照れながら着席した。
「次は、みんなで合わせましょう。せーの」

――パオーン。

 教室に響く大自然の声。大自然にして不自然とはこれいかに。

「ゾウ……だよな」
 私は思わず言葉を漏らしてしまった。すると、隣にいた保護者が振り返り、しみじみと私に囁いたのだった。
「我々の頃はリコーダーでしたよね。今はほとんどがエレファント・ノーズに変わったようですけど」
「……エレファント・ノーズ? ですか」
 私はその時、生まれて初めてエレファント。ノーズという言葉を発したのだ。
 そんな私の初体験をよそに、子どもたちは、ゾウの鼻をかたどった細長いホースのようなものに、一生懸命、息を吹き込んでいる。いくつかの穴が空いていて、どうやらそれで音階を奏でる仕組みのようだ。が、どう聞いても『パオーン』としか鳴っていない。

 私は恥を忍んで聞いてみた。
「あれは、どういった楽器なんでしょうか」
 保護者は、一瞬その表情を凍らせたように見えたが、すぐに丁寧な言葉遣いで教えてくれたのだった。
「何年くらい前でしたかね。うちの上の子が五年生の時だから、そう三年くらい前だ。文部科学省のお達しで、リコーダーが廃止になったんですよ。それで、代わりに白羽の矢が立ったのが、エレファント・ノーズってわけです」
「なるほど。そんなことがあったんですか」
 私は興味深そうに頷いて見せながら、考えていた。
 
――射手は目隠しでもしていたのだろうか。

 保護者は続けた。
「結局ね、盗まれたり、舐められたり、殴ったり、差し込んだり。小学校におけるリコーダーというのは、いつの時代も不遇な運命を背負っていたわけですよ。そういった、ネガティブな面を廃して生まれたのが、あのエレファント・ノーズだという話です」
「ほうほう」

――何を言っているのか、さっぱりだ。

「えっと、その、無知ですみません。エレファント・ノーズという楽器はそのために作られたってことですか?」
 
 保護者はゆっくりと頷いた。そして少し間をおいてから、思わせぶりに口を開いた。
「まぁ、ここだけの話、癒着ってやつでしょうね」
 驚いたような反応を見せながら、私は心の中で叫んだ。

――業者、いくら払ったんだよ!

 私は腹をくくり、思いつく全ての疑問をぶつけてみることにした。
 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。
「失礼ですが、あなたはその……エレファント・ノーズを吹いたことが?」
 その言葉を発することに、まだ少しの恥じらいを感じる。演奏方法が『吹く』で正しいのかも謎のままだ。
「ああ見えて以外に奥が深いんですよね」
 保護者が得意げにそう言ったので、私は少し苛ついた。
「パオーンとしか鳴らないのに?」
 保護者は首を横に振る。
「例えば、犬はワンと鳴きますよね? あれは全て同じワンでしょうか?」
「いや、それでは意思の疎通ができない。天敵が迫っている時に『こんにちは!』では間違いなく絶滅してしまいますからね」
「ご高説ありがとうございます。概ね正しい。つまり、パオーンにもいろいろあるんです」
 その言い方にまた少し苛ついたが、表情には出ないよう努力した。
「いろいろって?」
「例えば、ついさっき、うちの息子が吹いたのは『明日の天気は晴れ』のパオーンです」
「わかるんですか?」
「まさか、私は絶対音感なんてありませんから。昨日、息子が練習してるのを横で見ていたんですよ」
「実に微笑ましい」
 
――絶対音感では絶対にわからない。

 思わず本音を口走りそうになるが、ぐっと堪えた。今、田中くんの父親と議論しても仕方がない。議論すれば、間違いなく喧嘩になるだろう。そして恐らく、その後に芽生える友情も待っていない。つまり、不毛だということだ。
 田中(父)は真剣な眼差しで私に問うた。
「そもそも、ドレミが日常生活の役に立ったことがりますか?」
「まぁ、ないですね」
「そこで、パオーンに託したってわけです」

――いや、託しちゃダメだろ。

 思い出したように、田中(父)が付け加えた。
「そうそう、プロ用の高級エレファント・ノーズは象牙でできているそうですよ」
 
――ややこしいな!
 
 私は、心の中で呟いた。
 すると、田中(父)は笑って言った
「ややこしいですよね」

――あ、今のは言っても良かったのか。

 結局、田中(父)からは何一つ納得できる話は聞けなかった。しかし、私の中でそんなことはもう、どうでも良くなっていた。
 それがリコーダーだろうが、エレファント・ノーズだろうが構わない。実際、子どもたちは、楽しそうに授業を受けているではないか。
 学校での主役は彼らであり、私のプライドも、国と業者の癒着も、田中(父)の無駄な知識も、関係の無い話なのだ。
 そう考えると、私の心は清々しい気持ちで満たされたのだった。

『時代とともに変わってしまうものもある。しかし、本質が同じなら、それはそれで良い』
 
 ふと、教室の時計が視界に入った。
 ちょうど、終業のチャイムが鳴る。

――パオーン、パオーン、パオーン、パオーン。

「チャイムはダメだろ!」
 さすがにそこは、ツッコんだ。

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酒井貴司

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