浮気調査

浮気調査

「ご依頼の調査期間では、S子さんの浮気は認められませんでした」
 私は向かいのソファーで足を組んで座っている依頼主に告げた。S子との結婚を考えているこの男は、二週間ほど前に私の探偵事務所に浮気調査の依頼を出していた。
 浮気調査は依頼内容としてはよくあるものだ。結婚前は男女問わず神経質になるもので、こうして探偵を使って不安を拭おうとする者は多い。相手の潔白を確認したのち、晴れて結婚というわけだ。
 ところが男は浮かない表情で、私が用意した書類を眺めている。
「本当に、彼女は浮気をしていなかったのですか?」
 男は顔を上げ、懐疑の眼差しを私に向けた。
「ええ、今回の調査では、S子さんは浮気にあたる行動をまったくしていませんでした」
「そうですか……」男はううむと唸った。「しかし、まだ安心できないな。たまたまこの二週間は何もなかったのかもしれない」
 どうやらこの男は相当に疑り深い性格らしい。
「どうもすっきりしない。調査の延長を頼みたいのだが」
 男はそう言うと、破格の支払額を提示してきた。
「このとおり色を付けるから、あと十日ではっきりさせてくれ」
 願ってもいない申し出に思わず頬が緩む。私は快諾し、手早く契約をとりまとめた。
 しかし男が事務所を去ったあと、私はふっと冷静になり頭を抱えた。浮気調査に明確な結果が出るのは、調査対象が浮気をしていた場合だ。浮気をしていない場合、それを証明するのは難しい。明らかな証拠を用意できなければ報酬の減額はやむを得ないだろう。
 ――あと十日ではっきりさせてくれ。
 今になって男の言葉に憂慮した。S子が浮気をしていたらどれほど楽なことか……。
 と、事務所のドアがノックされた。来客だろうか? 私は急ぎ机上の契約書類を片付ける。それからドアを開け、絶句した。
 そこにはS子が立っていた。
「お話したいことがあるんですけど……」
 S子は私の目を真っすぐに見つめて言った。
 ……もしや浮気調査がばれていたのか?
「お入りください、お話は奥で伺います」
 私は動揺を必死で隠しながら、先刻まで男が座っていたソファーへS子を案内した。
 コーヒーを淹れて席へ戻ると、S子が口を開いた。
「最近、変質者からの被害にあってるんです」
 これは予想外の発言だ。しかし、浮気調査がばれていたわけではないらしいと分かり、私は少しばかり安堵した。
「変質者ですか。具体的にはどんな被害を?」
「ストーカーです」
「そういった相談は警察にされた方がいいのでは?」
「それが……」S子はうつむいた。「あたし、もうすぐ結婚するんです。だからごたごたは避けたくて……」
「ご結婚ですか」私は初めて知ったかのような声を出した。「それなら尚更、警察へ行って問題を解決するべきでしょう」
「ダメなんです」
「どうして?」
「心当たりがあるんです。その変質者はきっと……浮気相手なんですよ」
 私は息を呑んだ――まさかS子が本当に浮気をしていたとは!
「どうしてその変質者が浮気相手だと?」
「あたしがもうすぐ結婚するかもしれないと告げたら、その人ひどく怒って、未練がましく罵ってきたんです。その翌日から変質者が現れるようになりました。わざわざ変な形のサングラスまでして、変装しているつもりなのかもしれないけれど――」
「すみませんが」私はS子の言葉を遮った。「ストーカー退治は探偵の仕事ではないんです」
「そうですか……」
「申し訳ありません。しかし何か力になれるかもしれないので、一応その浮気相手のお名前などを――」
 私はS子が記した一通りの情報を確認し、あらためて詫び口上を述べてから落胆した様子の彼女を送り出した。
 ドアを閉めると、安堵の溜息が漏れた。
 はからずも浮気調査が成功に終わったのだ! これで報酬の心配はない!
 私はデスクのひきだしからお気に入りのサングラスを取り出した。
「報酬を受け取ったら、尾行用のサングラスを買わないとな」

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宵野遑

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